伝統工芸の事業経営ガイド > 第3章 担い手と事業承継 > 技を記録する
技を記録する

技がおひとりの手に残ったままの状態は、その方が抜けた日に事業が止まるということでもあります。ここでは、何をどの細かさで残すか、そして残す作業を日々の仕事の中に置く方法を扱います。
こんな状態にお心当たりはありませんか
- ある工程を、いまおひとりの方だけが担っている
- 手順は口で伝えているが、書いたものが残っていない
- 寸法や配合が、その方の手元の控えにしかない
- 以前に作った手順書が、いまの作り方と合っていない
属人化は、技の問題ではなく経営の問題です
ひとつの工程が特定の方の手に残っている状態は、その方の腕前とは関係なく、事業の側の弱さになります。その方が抜けた瞬間に、技そのものが失われるためです。体調を崩される、辞められる、どちらも予告なく起こります。
どの工程が代わりのきかない工程かを見つける手順は、担い手が減るということに置いてあります。まずその一覧を作り、心当たりのない工程から順に残していくのが、費用も時間も少なくて済む進め方です。
一覧を作ると、残す作業に順番がつきます。すべてを同じ細かさで残そうとすると、着手する前に手が止まります。
何を、どの細かさで残すか
残すものは、大きく四つに分かれます。どれか一つで足りるということはなく、組み合わせて初めて再現できる形になります。
| 残すもの | 向いている中身 | 残し方 |
|---|---|---|
| 写真 | 仕上がりの見え方、道具の置き方 | 同じ位置から撮って並べる |
| 動画 | 手の動き、力の掛け方、速さ | 短く区切って撮る |
| 数値 | 寸法、配合、温度、時間 | 幅と、外れたときの直し方も添える |
| 言葉 | 判断の分かれ目、やり直しの見極め | 「こう見えたら、こうする」の形で書く |
いちばん値打ちがあり、いちばん残りにくいのが四つ目です。手順は書けても、なぜそこでその判断をするのかは、ご本人にとって当たり前になっているため言葉になりません。撮った動画を一緒に見ながら「いまなぜ止めたのか」と伺っていく形が、取り出しやすい方法のひとつです。
この作業には、思いがけない効き目があります。言葉にしづらい部分を外に出していくと、担ってこられたご本人が、自分の仕事の値打ちをあらためて確かめる機会になります。
渡すときの裏づけにもなります
記録は、教えるためだけのものではありません。事業を渡す場面では、この工房が何を持っているのかを外の方へ示す資料になります。品物を見せるだけでは、そこにある技の中身までは伝わりません。
とくに社外へ引き継ぐ場合、資料の状態が話の進み方を大きく左右します。その点はM&Aという選択肢で扱っています。渡す相手がご親族や社内の方であっても、残っているかどうかで引き継ぎにかかる期間が変わります。
一度作って終わりにしない
手順書が作られたまま古くなっている、というお話をよく伺います。作った時点では正しくても、道具が変われば、材料が変われば、中身も変わります。合っていない記録は、無い記録より迷いを生みます。
ですから、残す作業は行事ではなく、日々の仕事の一部として置きます。決めておくのは三つです。誰が書き足すのか。いつ見直すのか。どこに置くのか。この三つが決まっていない記録は、必ず古くなります。
見直しの機会は、新しく人が入ったときや、道具を替えたときに合わせると続きやすくなります。仕事の流れそのものを整える話は第8章 設備・生産・DXで扱っていますので、あわせてご覧ください。
よくあるご質問
- 撮影や記録に時間を割く余裕がありません
- まとまった時間を取って一度に残そうとすると、たいてい続きません。ふだんの作業のうち一工程だけを、短い動画で撮っておくところから始めていただくのがよいと考えています。撮るだけなら数分で済みますし、後から見ながら言葉を足していけます。
- 技を外に出してしまうことに、抵抗があります
- ごもっともなお気持ちです。残した記録をどこまで、誰に見せるかは、残す作業とは別に決められます。社内だけで持つ、渡す相手が決まったときだけ見せる、という形もあります。まずは手元に残すことと、外へ見せることを分けてお考えいただければと思います。